岡本 真也
「社会人4チーム」「プロ4チーム」に所属した、 遅咲きの最優秀中継ぎタイトルホルダー
プロフィール
1974年10月21日に京都府竹野郡網野町(現:京丹後市)で生まれる。京都府立峰山高校時代に、甲子園出場なし。高校卒業後は社会人野球・クラブチームを4チーム経験、ヤオハンジャパン時代に都市対抗野球に出場する。その後、ヤマハを経て、中日ドラゴンズから4巡目指名を受け、2001年からプレー。
3年目に先発で投げた以外は右の中継ぎとして活躍。2004年には、オールスターゲームに出場し、最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。
2008年からは埼玉西武ライオンズ、2010年に韓国・LGツインズに移籍に移籍。
東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍した2011年のシーズン終了後に現役引退。引退後は、宮城県仙台市で「うどん・もつ鍋也 真」を営む。
経歴
<社会人野球>
1974年:10月21日に京都府竹野郡網野町(現:京丹後市)で生まれる。
1989年:網野町立網野中学校から京都府立峰山高校に進む。
1992年:高校卒業後、社会人野球チームの佐藤工務店(東京都)に就職。のちに野球部廃部となり、阿部企業(兵庫県)、ヤオハンジャパン(静岡県)と移籍する。
1997年:ヤオハンジャパン在籍時に都市対抗野球に出場。
1998年:クラブ選手権で優勝もアムウェイレッドソックス(ヤオハンジャパンから親会社移管)は活動終了となる。その後は、ヤマハ(静岡県)に移籍。
<プロ野球>
2000年:11月のドラフト会議で中日ドラゴンズから4巡目指名を受ける。
2001年:1年目から一軍に出場、3試合に登板。
2003年:2003年6月8日の広島東洋カープ戦でプロ初先発、初勝利を挙げる。この年は12試合に先発登板。
2004年:リリーフ専任に戻り、自己最多の63試合に登板。オールスターゲームに出場し、最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。リーグ優勝に貢献した。
2006年:リーグ優勝。
2007年:62試合に登板。リーグ2位もCSを勝ち上がり、日本シリーズに出場。日本一となり、アジアシリーズも優勝した。シーズン終了後、和田一浩外野手FAの人的保障として埼玉西武ライオンズに移籍。
2008年:6年連続となる40試合登板を達成。リーグ優勝、日本一、アジアシリーズ優勝にも貢献した。
2009年:シーズン終了後に、戦力外通告を受け、韓国・LGツインズに移籍。
2010年:抑えとして16Sを挙げたが、1年でLGツインズを退団。シーズン終了後、入団テストを受けた東北楽天ゴールデンイーグルスへの入団が決まる。
2011年:一軍登板はなく、シーズン終了後に現役引退。
通算成績
NPB(10年間):357試合(先発12試合)32勝19敗2セーブ92ホールド、防御率3.21、421奪三振
韓国プロ野球(1年間):46試合5勝3敗16セーブ1ホールド、防御率3.00、40奪三振
獲得タイトルなど
最優秀中継ぎ投手(2004)、オールスター出場(2004)
逸話やエピソード
京都府立峰山高校は甲子園出場こそないが、野村克也氏の出身校でもある。また、高校の同級生には、横浜でプレーした田中敏昭投手がいた。
高校卒業後、社会人野球チームの佐藤工務店に就職するが、廃部や休止などの不運が重なりチームを転々とする。佐藤工務店の後、阿部企業、ヤオハンジャパン(のちにアムウェイレッドソックス)、ヤマハと4つの社会人・クラブチームに在籍した。
それでも諦められないプロ野球への思いは、28歳で成就する事となる。
プロ入り後、落合監督体制の中日ドラゴンズで勝利の方程式を担うセットアッパーとして優勝や日本一を経験したが、日本一になった7年目にFAで中日に移籍した和田一浩の保障選手として埼玉西武ライオンズに移籍。プロテクトから漏れたのは、当時34歳で年齢的なものもあったのかもしれないが、この移籍に関しては落合監督も「すごく悩んだ」と苦渋の決断をした事を告白している。
埼玉西武を2年で戦力外になった後は、合同トライアウトで12球団から声がかからず、中日時代に同じチームだった高橋三千丈コーチのいる韓国・LGツインズに移籍。
その後、入団テストを受けた東北楽天ゴールデンイーグルスでプロ野球人生の最後を迎えるが、当時の東北楽天の監督が、入団時の中日ドラゴンズ監督と同じ星野仙一監督であったことも大きな縁である。
プロフィールだけをとっても、「社会人4チーム」「プロ4チーム」と決して挫けず、諦めないという強い気持ちが現れている選手である。