小林 雅英
「幕張の防波堤」と呼ばれた、日米通算234セーブを挙げたNPB屈指の名クローザー
プロフィール
1974年5月24日、山梨県大月市で生まれ、小学校2年生の頃から野球を始める。
山梨県立都留高校出身で甲子園出場はなし。高校時代の夢は、野球指導者。
日本体育大学時代に実力を上げ、大学野球日本代表も経験。大学卒業後は東京ガスに入社。
1998年、ドラフト会議で1位指名を受け、千葉ロッテマリーンズに入団。
プロ1年目の1999年から40試合以上に登板。
2年目以降は守護神となり、2004年はアテネオリンピックに出場。
2005年、最多セーブ投手のタイトルを獲得する。
通算200セーブを達成した後、メジャーリーグのクリーブランド・インディアンスに移籍。
帰国後は、読売ジャイアンツ、オリックスバファローズでプレー。
2011年に日米合わせて13年間の現役生活を終えた後は、オリックス、ロッテでコーチを務め、2019年は女子プロ野球の投手総合コーチに就任。
2021年からはエイジェック社会人野球部の投手総合コーチに就任。
経歴
1974年:5月24日、山梨県大月市で生まれる。
1981年:小学校2年生の頃から野球を始める。
1992年:山梨県立都留高校から日本体育大学に進む。
1996年:大学卒業後、東京ガスに入社
1998年:ドラフト会議では、逆指名(ドラフト1位)で千葉ロッテマリーンズに入団
1999年:プロ1年目から、先発10試合を含む46試合に登板
2001年:プロ野球新記録となる6日間連続セーブを挙げる。6月、月間MVPに。
2002年:17試合連続セーブを挙げパ・リーグ新記録を更新。33試合連続セーブポイントを挙げプロ野球新記録を更新。
2003年:222試合目で通算100セーブ(日本人最速記録)。
2004年:アテネオリンピック野球日本代表に選出、銅メダル獲得。
2005年:29セーブで最多セーブ投手に。日本一、アジアシリーズ優勝を達成。
2006年:史上3人目となる通算200セーブを達成。交流戦MVPにもなった。
2007年:7年連続20セーブを達成。オフにFA権を行使し、メジャーリーグのクリーブランド・インディアンスに移籍
2008年:メジャー初登板・初勝利を挙げるなど、中継ぎメインに4勝6セーブの成績を残す。
2009年:シーズン終了後、帰国。読売ジャイアンツに入団。
2010年:シーズン終了後、オリックスバファローズに入団。
2011年:現役引退。
2012年:オリックスバファローズの二軍育成コーチに就任。
2013年:二軍投手コーチに就任。
2014年:千葉ロッテマリーンズの一軍投手コーチに就任。
2018年:シーズン終了後に退団。
2019年:女子プロ野球の投手総合コーチに就任。
2021年:エイジェック社会人野球部の投手総合コーチに就任。
通算成績
NPB(11年間)、463試合(先発13試合)、36勝34敗228S4H、防御率2.93、465奪三振
MLB(10年間):67試合、4勝5敗6S2H、防御率5.10、39奪三振
獲得タイトル
最多セーブ投手(2005年)
月間MVP(2001年6月、2002年7月)
交流戦MVP(2006年)
パ・リーグ連盟特別表彰(2002年、33試合連続セーブポイントを挙げプロ野球新記録を更新した事に関して)
オールスターゲーム出場(2000年、2001年、2005年、2006年)
逸話やエピソード
高校時代の夢は指導者
高校時代は無名で甲子園出場もなかったため、プロ野球は意識しておらず、野球の指導者を志す。
因みに、出身校の山梨県立都留高校は、2007年に21世紀枠で甲子園に出場している。
大学入学後に才能を開花
日本体育大学に進学してからも、野球部に所属。そこで才能を開花させ、4年生春のリーグ戦ではベストナイン、秋は最優秀投手賞に選ばれる。
通算では29試合に登板し16勝を挙げ、日本代表として日米大学野球にも出場した。
実力が上がったほか、プロへ進む同級生がいたこともあり、プロへの意識が高まる。
そして、「野球をするのは2年」という条件で、社会人野球の東京ガスへ入社する。
セーブ関係の日本記録を樹立
プロ入団後は、クローザーをメインに活躍し、下記の日本記録・リーグ記録を更新した。
〇17試合連続セーブ(2002年、パ・リーグ記録)
〇33試合連続セーブポイント(2002年、日本記録)
〇7年連続20セーブ(2001年 - 2007年、日本記録)
自治体などからの表彰も多い
野球の成績による表彰だけでなく、出身地の山梨県やチーム本拠地のある千葉県(千葉市)といった自治体などから多くの表彰を受けている。
中でも、ア・マン・オブ・ジュエリー賞は、「宝石の街甲府」「貴金属の山梨」の輝く男性を代表して表彰された。
〇山梨県イメージアップ大賞特別賞(2003年、山梨県)
〇県知事賞(2004年、千葉県)
〇市民栄誉賞(2004年、千葉市)
〇やまなしスポーツ賞(2004年、山梨県)
〇ア・マン・オブ・ジュエリー賞(2006年、山梨県水晶宝飾連合会)
打者0人での勝利投手
2000年7月2日のオリックスブルーウェーブ戦で、プロ野球史上初の「打者0人での勝利投手」を達成する。
暴投の間に三塁を狙った一塁走者がアウトとなり、その直後にチームが勝ち越したため。
なお、その時の一塁走者はメジャーリーグでも活躍したイチロー選手だった。