大友 進
オールスターにも出場した、2年連続ゴールデングラブ賞受賞の名手
プロフィール
茨城県立日立工業高校、東京ガスを経て、1995年のドラフト会議で西武ライオンズから2位指名を受けて入団。
1年目から一軍に出場し、1998年と1999年には2年連続で外野手のゴールデングラブ賞を受賞した。
引退後は、野球解説者・評論家や野球教室の講師を務める。
経歴
1974年:6月18日、茨城県多賀郡十王町(現・日立市)に生まれる
1991年:茨城県立日立工業高校時代に関東大会に出場
1995年:東京ガスからドラフト会議で西武ライオンズから2位指名を受ける
1996年:後半戦から一軍に昇格し、62試合に出場
1997年:2番打者として、リーグ優勝に貢献
1998年:1番打者として活躍、ゴールデングラブ賞を受賞
1999年:オールスターゲームに出場、第1戦でランニングホームランを打つ。二年連続でゴールデングラブ賞を受賞
2004年:シーズン終了後に中日ドラゴンズへトレード移籍
2005年:シーズン終了後、現役を引退
2006年:テレ玉の野球解説者、東京スポーツ野球評論家を務める
2009年:NPB12球団ジュニアトーナメントで西武ライオンズジュニアのコーチを務める
通算成績
10年(実働9年)、662試合、打率.263(2005打数528安打)、18本塁打、155打点、80盗塁
獲得タイトル
ゴールデングラブ賞(外野手):1998年、1999年
オールスターゲーム出場:1999年
逸話やエピソード
茨城県立日立工業高校では、1年生夏からセンターとピッチャーを兼任する。因みにピッチャー時はサイドスローであった。
2年生秋は県大会で準優勝し、関東大会でベスト8、3年生の夏は甲子園出場の有力校となったが、県大会は残念ながら準優勝に終わり、あと一歩の所で甲子園出場はならなかった。
また、双子の弟(猛さん)がいて、茨城県立日立工業高校でも一緒にプレーしている。
元々、左バッターだったが、西武ライオンズ入団後の3年目(1998年)の春季キャンプでは、スイッチヒッターに挑戦するなど器用な面も持ち合わせている。
守備に関しては、1998年、1999年と2年連続でゴールデングラブ賞を獲得するほどの名手である。当時の西武ライオンズ投手だった豊田清氏は、大友の守備にはとても敬意を払っており、豊田のリリーフ登板時の代名詞であるセンターから順に外野陣に帽子に手を添えて挨拶する仕草もここから来ているといわれている。
守備に目が行きがちだが、打の方で印象に残っているシーンは、1999年に選出されたオールスターゲームでは、第1戦でオールスター史上4人目となるランニングホームランを打っている。
また、オープン戦ではあるが、2002年には千葉ロッテマリーンズ戦で3打席連続本塁打という記録も持っている。
プロ野球を引退した後は、テレビ埼玉の野球解説者、東京スポーツの野球評論家として活躍する一方で、プロゴルファーに挑戦すべく、ゴルフ場に就職などもしいる。
ゴルフ場に2年勤務はしたが、野球への想いは強く、西武時代の先輩・大塚光二氏に誘われ、一球幸魂(さいたま)倶楽部の選手兼任コーチに就任する。
さらに、西武ライオンズ主催の野球教室や日本プロ野球OBクラブ主催の野球教室などでの講師や、NPB12球団ジュニアトーナメントでの、西武ライオンズジュニアのコーチを務めるなどの活動や、解説業やベースボールアカデミーなどにおいての講師など、野球界の発展に向けて精力的に活動を続けている。