部坂 俊之へさか としゆき

元阪神タイガースなど

「打たれないこと」から「打たれること」ことを仕事に、気配りに溢れた頼れるパートナー


部坂 俊之

プロフィール

神奈川県出身の元プロ野球選手、現東北楽天ゴールデンイーグルス打撃投手。
瀬谷リトルシニアに在籍していた中学3年時に、オーバースローからアンダースローへ転向。コントロールの良さを武器として、多彩な変化球でコーナーを丁寧に突き、相手の打ち気を逸らす頭脳派ピッチャーとして活躍を見せる。
高校時代は、恩師・渡辺元智監督のもと、横浜高校のエースとして春のセンバツに出場。高校卒業後も、亜細亜大学の1部昇格、東芝府中15年ぶりとなる日本選手権出場など、ピッチャーとしてチームに大きく貢献する。

その後、1998年にドラフト4位で阪神タイガースへ入団。ルーキーイヤーの1999年4月には、救援投手として1軍初登板。5月には、対ヤクルト戦で先発登板も果たす。現役引退後の2006年からは、阪神時代の恩師・野村克也監督率いる東北楽天ゴールデンイーグルスの打撃投手に就任。日本一の感動を再び味わうべく、選手の活躍、そしてチームの勝利を願い、一球一球に思いを込めている。



経歴


1974年、神奈川県横浜市生まれ。高校野球の名門・横浜高校では、1年の秋よりベンチ入り。2年秋からはエースとして活躍し、3年春には、第64回選抜高等学校野球大会へ出場。亜細亜大学進学後の1996年には、東都大学秋季リーグで最高殊勲選手・最優秀投手・ベストナインに選出され、チームの優勝に貢献する。卒業後は、東芝府中硬式野球部で投手陣の柱として活躍。1998年には、第69回都市対抗野球大会のほか、第25回社会人野球日本選手権大会へ15年ぶりの出場も果たす。

1998年 東芝府中よりドラフト4位で阪神タイガース入団。
1999年 対中日ドラゴンズ3回戦(4月28日)で3番手リリーフとして1軍初登板。関川浩一(現ソフトバンクホークスコーチ)から初奪三振をマーク。
2003年 台湾プロ野球「中信ホエールズ」への移籍を経て、カナダ独立リーグ「ヴィクトリア・キャピタルズ」に所属。
2004年 現役を引退。
2006年 東北楽天ゴールデンイーグルス打撃投手に就任。
2016年 NPB AWARD 2016 日本野球機構 球団功労賞受賞。
2020年 東北楽天ゴールデンイーグルスの関東地区のスカウトを担当。

通算成績<大学>

1部リーグ:通算34試合 14勝10敗 防御率2.70 126奪三振

通算成績<プロ>

日本:通算34試合 0勝2敗 防御率2.88 奪三振23
台湾:通算6試合 0勝1敗 防御率9.00 奪三振13



部坂 俊之

逸話やエピソード

楽天打撃陣の活躍には、気遣いの人・部坂の存在を欠かすことができない。打者のオーダーに応じた柔軟さや繊細さが求められる打撃投手。しかし、これらは球種や球速、コースなどの投げ分けに限った話ではない。打者の「恋人」や「パートナー」と表現される打撃投手は、投球を重ねていくなかで打者の状態や変化を感じ取り、的確にフォローする役割も担う。

球団創設2年目から打撃投手を務めている部坂もまた、打者の気持ちを推し量り、分け隔てなく寄り添う心に溢れた、かけがえのない存在。周囲を明るく照らし、若手はもちろん、ベテラン選手からの信頼も厚い。キャンプ期間中は1日に200球近く投げることもあり、2014年には右ひじを手術。職業病とも言える曲がった右腕は、長きにわたって打者に寄り添ってきた証でもある。チームキャプテンでもある銀次は、ビジターで早出の打撃練習をする際、打撃投手最年長の部坂がいつも投げてくれることに感謝の言葉を口にしていたことがあった。そうした「にじみ出る人柄」も、選手たちの大きな信頼へつながっていることは言うまでもない。

部坂が中学時代にアンダースローへ転向した理由。それは、「オーバースローではフォームがきれいで球が素直だったから」という逸話がある。部坂の優しく温かな人柄、何事にもまっすぐな姿勢と、どこか重なり合うようなエピソードと言えるかもしれない。


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