野口 茂樹のぐち しげき

元中日ドラゴンズなど

ノーヒットノーランも達成した、セ・リーグ有数の左腕投手


野口 茂樹

プロフィール

野口茂樹氏は、1974年5月13日に愛媛県で生まれる。
中学・高校と県大会で優勝経験があり、愛媛県立丹原高校時代は、「四国のドクターK」とも呼ばれた。
1992年に中日ドラゴンズからドラフト3位指名を受けて入団。入団2年目で一軍初登板し、4年目の1996年にノーヒットノーランを達成する。
最優秀防御率、最多奪三振、ゴールデングラブ賞のタイトルを獲得したほか、リーグ優勝した1999年には最優秀選手にも選ばれた。

FA権を行使し読売ジャイアンツに移籍するも、出場機会を伸ばせず退団。
それでも野球を諦められず、リハビリを経て四国アイランドリーグplusの三重スリーアローズでプレーする。
現在は会社員や少年野球スクールの講師(中日ドラゴンズ主催)を務めている。



経歴


1974年:5月13日、愛媛県東予市(現:西条市)で生まれる
1992年:中日ドラゴンズからドラフト3位指名を受ける
1994年:野球留学で1A・セントラルバレー・ロッキーズでプレー。帰国後の8月、2年目で一軍初登板を果たす
1996年:8月11日の読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)でノーヒットノーランを達成
1998年:チーム最多タイとなる14勝(9敗)を挙げる。最優秀防御率のタイトルを獲得
1999年:19勝7敗と活躍。リーグ優勝し、リーグMVP(最優秀選手)となった
2001年:最優秀防御率、最多奪三振のタイトルを獲得する。日本タイ記録となる4試合連続無四球完投勝利を挙げるなど、11完投、5完封、12勝9敗と活躍した
2005年:シーズンオフにFA権を行使し読売ジャイアンツに移籍
2007年:リリーフ中心に登板し、中日戦で移籍後初勝利を挙げる
2008年:読売ジャイアンツを退団。退団後は株式会社オーガニッククルーの顧問とFuture's Baseball Academyのアドバイザーを務める
2011年:5月に四国アイランドリーグplusの三重スリーアローズに入団。シーズン終了後、チーム解散に伴い退団、引退を決意する

通算成績

14年、281試合、1405 2/3投球回、81勝79敗2セーブ4ホールド、防御率3.69、1122奪三振

獲得タイトル

最優秀防御率:1998年、2001年
最多奪三振:2001年
最優秀選手:1999年
ゴールデングラブ賞:2001年
月間MVP:1999年7月、1999年9月、2001年4月、2001年5月
最優秀バッテリー賞:2001年(捕手は中村武志氏)
オールスターゲーム出場:1998年、1999年、2001年



野口 茂樹

逸話やエピソード

中学・高校時代に県大会で優勝経験あり

西条市立東予東中学校では、準々決勝から決勝まで3試合連続で完封し、3年生の時に愛媛中学総体で優勝する。高校は強豪校への進学はせず、愛媛県立丹原高校に入学し、2年生夏は、初戦から準々決勝の4試合で40奪三振と大会新記録を更新、チームをベスト8に導き、3回戦では当時の甲子園常連校である松山商業高校にも勝っている。3年生春は東予地区予選・新居浜南高校戦でノーヒットノーラン、県大会では、準決勝・八幡浜高校戦で19奪三振、決勝・新居浜東高校戦で14奪三振と活躍し優勝。しかし、3年生夏は県大会準決勝で敗退し、甲子園出場はならなかった。高校時代は、三振を奪っている姿から「四国のドクターK」とも呼ばれた。

プロ入りしてからは持ち味を活かせない時も多く、当時の星野監督は、「何かを感じてもらいたい」と厳しく接し、プロ4年目の1996年、オープン戦で結果を残せず降板した時は、試合終了までの2時間以上ベンチで立たされたことや、先発ローテーションで結果が出ない時は、二軍降格だけでなく丸刈りも命じられた。
そういった苦しい経験をし成長した野口は、1996年8月11日の読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)でノーヒットノーランを達成。その際の星野監督は「きょうは本当に嬉しい」と喜んでいた。

1997年は故障や制球難の影響で11試合の登板にとどまり0勝に終わる。
1998年に就任した宮田征典コーチ(現役時代は巨人に在籍、故人)から、腕の振りを斜めにするなどのアドバイスを受け、制球難が改善。14勝を挙げ、最優秀防御率も獲得する。
因みに、8月30日の対ヤクルトスワローズ戦では、延長12回まで203球を投げている。
1999年は19勝7敗の成績を残し、リーグ優勝に貢献し、リーグMVPの表彰も受けた。
しかし、この年のルーキー・上原浩治(当時・読売ジャイアンツ)が20勝し、最多勝とはならなかった。

2005年のシーズン終了後に中日の生え抜き選手では初となるFA権(国内)を行使し、読売ジャイアンツに移籍した。しかし、移籍翌年の登板は1試合で、移籍2年目に復活するも3年目は一軍登板なしに終わり、2008年に戦力外通告を受ける。
その後は、現役として道を国内、国外を含めて様々選択しながらも、なかなか安定したチームに恵まれず、しかし野球への愛情は冷めることなく、オーガニック関連のセミナーやオーガニック食品の販売を手掛ける株式会社オーガニッククルーの顧問を務めながらも、野球教室や野球留学のサポートを行うFuture's Baseball Academyのアドバイザーに就任。

そして、2011年には独立リーグ・三重に入団。シーズン終了後にチーム解散に伴い退団、引退を決意することとなる。
選手引退後は一般企業に勤務する中で、中日ドラゴンズ主催の少年野球スクールでの講師や野球解説おこなうなど、野球への情熱は今も冷めることなく持ち続けている。


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